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日本語・日本文化2016年~2012年
号数 |
発行年 |
カテゴリー |
筆者名 |
題目 |
ページ数 |
43 |
2016年3月 |
研究論文 |
岩井茂樹 |
「視線」の日本文化史(1) ―「美人画」の場合 |
1-26 |
研究論文 |
大和祐子 |
文法・漢字プレースメントテストの信頼性と項目識別力の検証 |
27-52 |
研究論文 |
蔦 清行 |
『蒙求和歌』の伝本と文体 |
82(1)-53(30) |
42 |
2015年3月 |
研究論文 |
嶋本隆光 |
南方熊楠と猫とイスラーム |
1-33 |
研究論文 |
中田一志 |
会話における終助詞「よ」と「ね」の意味と用法 |
35-52 |
研究論文 |
五之治昌比呂 |
渋沢青花と相馬黒光、ボース、エロシェンコ |
53-81 |
研究ノート |
中田一志 |
文化と言語教育、そして研究―実践例を中心に― |
83-97 |
研究ノート |
伊藤翼斗 |
発話の冒頭からその発話について何が予測可能か |
99-122 |
研究ノート |
阪上彩子 |
話しことばにおける接続助詞「し」の使用実態 |
123-135 |
研究ノート |
サライ・ペーテル |
南方熊楠の思想形成における『東洋学芸雑誌』と『ザ・ポピュラー・サイエンス・マンスリー』 |
137-156 |
41 |
2014年3月 |
研究論文 |
中田一志 |
漫才の笑い:エラーと非効率性と非整合性 |
1-35 |
研究論文 |
小森万里 |
アカデミック・ライティングにおける「(の)ではないか」の使われ方に関する一考察 |
37-60 |
研究論文 |
松本朋子 |
「いづれ」の歴史的変遷 |
61-82 |
研究論文 |
岩井茂樹 |
「痴漢」の変容―中国から日本への伝播と定着 |
一-三〇 |
研究論文 |
山中延之 |
『百衲襖』に見られる助詞ノ・ガの使い分け |
三一-五四 |
40 |
2013年3月 |
研究論文 |
中田一志 |
日本語におけるメタファー的表現の再発見 |
23-39 |
研究論文 |
荘司育子 |
補文化辞「か」と「と」の文法化 |
41-53 |
研究ノート |
加藤 均 |
近世日本における仏教者のキリスト教理解 ―鈴木正三と雪窓宗崔の排耶書比較を中心にして― |
55-64 |
研究ノート |
今井 忍 |
語種と複合語 ―意味論的観点から― |
65-77 |
研究ノート |
蔦 清行 |
『Love Letter』のラブレター |
一-二二 |
研究論文 |
柴田良成 |
フクロウの書いたラブレター ―お伽草子の恋文― |
二三-三三 |
39 |
2013年3月 |
研究論文 |
貫田優子ウリガ |
在日外国人留学生の社交性と交友ネットワーク ―大阪大学・京都大学の外国人留学生を対象としたアンケート調査から― |
1-24 |
研究論文 |
山中延之 |
桃源瑞仙『百衲襖』の文章 |
一-一九 |
研究ノート |
二本松泰子 |
韓国国立中央図書館蔵『鷹鶻方 全』(古古7‐30‐44)全文翻刻 |
二一-五一 |
38 |
2012年3月 |
研究論文 |
加藤 均 |
日本人論と仏教 ―山本七平の鈴木正三論をめぐって― |
7-18 |
研究論文 |
中田一志 |
「のだ」の結果用法と過程用法 |
19-51 |
研究論文 |
今井 忍 |
なぜ「多い学生」「少ない本」と言えないのか ―〈存在〉という意味成分に基づく再検討― |
53-80 |
研究論文 |
荘司育子 |
助詞「に」の統語的性質について —補文化辞の観点から— |
81-99 |
研究論文 |
五之治昌比呂 |
演劇改良運動の中の高橋義雄 —翻訳戯曲集『梨園の曙』をめぐって— |
101-128 |
研究論文 |
山川 太 |
「まだ~ない」と「まだ~ていない」について ―動詞の意味構造の観点から— |
129-146 |
研究ノート |
角道正佳 |
『聞いておぼえる関西(大阪)弁入門』のアクセント |
147-203 |
研究ノート |
嶋本隆光 |
「知」の意味するもの(その三) —神智の獲得に至る階梯と悟得者の行為について— |
205-225 |
研究論文 |
柴田芳成 |
銭観音の寺 ―玄徳寺由緒― |
一-一七 |
研究論文 |
蔦 清行 |
毛能波とテ尓乎 |
一九-三四 |
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